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천정궁모심회

NO.22 Moshim Sketch: 1+1+11=♥

Seung-han Shin, Hiroe Maeda (360,000 Couple Blessing) “What is attendance?” This question made us ask ourselves another question, “What would parents want for their children?” Despite our shortcomings with our life of faith, contemplating these questions made my husband and I feel our longing for Heavenly Parent echoing within. We once had the opportunity to…
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NO.22 Introducing Cheon Jeong Gung: A Thousand Years of History in the Cheon Jeong Gung Palace Time Capsule

Human beings have long struggled to pass down the historical possession of their time to future generations. This history goes back to the Mesopotamian civilization. Burying mementos during the construction of temples and fortresses has been practiced for generations, such as the discovery ofthe 5,000-year-old box stored in a small room hidden in the walls…
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NO.22 Following True Parents: True Father’s Course to the South (Part 4)_ Going to Yeongcheon, the Land of New Promises

The Hwaryong Bridge constructed in 1929. True Father and his disciples crossed this bridge to Busan. Since the 9th year of Cheon Il Guk (2021), I have been publishing several series on True Father’s Course to the South in commemoration of the 70th anniversary of True Father’s journey to Busan during the Korean War. Since…
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NO.22 Moshim Story: 60 Years, Following the Way of the Truth(Part 1)

Wonju Church built at Wondong-san 5, Wonju City (Completed on June 17, 1956) I was born in Wonsan, South Hamgyong Province. In June 1950, when I was in the first grade of Public School, the Korean War broke out, and on December 8 of that year, my father, a professor at Wonsan Fisheries School, went…
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NO.22 True Parents’ Treasure: True Parents’ Calligraphy

Also known as the symbol of the Cheong Pyeong Providence, the calligraphy ‘Unity with a Pure Heart Brings Oneness in all Victories (Cheong Shim Il Man Seung Il, 淸心一萬勝一)’ is True Parents’ promise to all Blessed families. This six-character calligraphy signifies True Parents’ words, “If you become one with True Parents’ heart through the Cheong…
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NO.22 Short Story: The Cheon Jeong Gung Palace Dining Table and Parent’s Meals

The Heavenly Parent’s Holy Community is a family member community. This is because it is a community where humankind can achieve peace and unification as one family centering on Heavenly Parent and True Parents. The word family member or ‘Shi-kku (식구)’, in Korean, refers to “people who live under one roof and have meals together.”…
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NO.22 天正宮カードゲームイベント 

52 枚の天正宮イメージのカードが裏返っています。カードをクリックするとカードが裏返り、少しの時間、天正宮の写真が見えるようになります。イメージを記憶して同じカードを連続で選択すると、これ以上裏返らなくなります。全52 枚の全てのカードが天正宮の写真で表示されればミッション完了 !! 上のイベントに参加されてミッションを完了し、個人情報を入力して下さった方の中で抽選で天正宮の記念品を贈呈します。 2022年2月20日まで >>>>>>>イベント参加 会報侍義生活 Vol. 22 日本語版の目次へ

1+1+11=♥

36万双 シン・スンハン-まえだ ひろえ家庭 「慕心とは何でしょうか?」という問いを聞いた時に、私たち夫婦は「父母が子女である私たちに願われていることは何だろうか」という質問が頭に浮かびました。一般食口として、この上なく不足な信仰生活をしていながらも、心の奥底では天の父母様に対する慕わしさが溢れていました。たまたま天正宮を巡礼する機会があったのですが、そこで「天正宮の電気料金はとんでもなく高いだろうな…」と感じ、私たち夫婦は小さな精誠ではありますが「天正宮慕心会」に入会しました。 私たち夫婦は20 代の初めに36 万双の祝福を受け、3年間の献身生活の後、家庭出発をしました。特に3年間の任地生活の間は、夫婦で本当に数多くの喧嘩をしました。怨讐の中の怨讐かのように、家庭出発後もたくさん喧嘩をしましたが、別れようと思ったことは一度もありませんでした。なぜなら、親が離婚したという痛みを子どもたちには絶対に味わわせないと夫婦で誓ったからです。そうやってもめることがありながらも、目に見えない信頼と決意で、お互い支え合っていたように思います。 私たち夫婦は家庭出発をしてから現在までに11 人の子女を生みました。なぜかは分かりませんが、子女を生み、両親に孫を抱かせてあげることが一番の親孝行だと思っていたので、11 人もの子女を生むことができたのだと思います。残念なことに私の母は早くに亡くなったので、孫の顔を見せてあげることができず、とても残念な想いでいっぱいでした。しかし、最初の子どもを出産した後、不思議な夢を見ました。私の母は夢の中で「かわいい子たちね!」と言いながら喜んでいました。11 人の子女を生むまでに母がいつも見守ってくれていたんだと感じ、今も母に慰労されているように感じます。 どんなに大変な環境であったとしても、天が私たち夫婦にくださった贈り物のような子どもたちにとって良いアッパ、オンマであろうと努力しています。11 人の子女を育ててきましたが、その道のりは言葉にできないほど困難なものでした。それでも日々、その困難を乗り越えることができたのは、ただただ子どもたちが立派に成長してほしいという懇切な想いと精誠、そして周りの方々の助けがあったからです。そのおかげで、多くの困難を経ながらも天の父母様の心情を深く体恤することができました。家庭出発後、夫は統一教という理由で職場探しに多くの困難がありましたが、諦めずに家族のために職場で孤軍奮闘していました。特に、献身生活をしていた頃から約束していた皿洗いは、今日まで欠かさずやってくれています。休日は子どもたちを連れて外で遊んでくれます。疲れているはずなのに、子どもたちともっと遊んであげられないことを惜しむ夫を見ると、感謝の気持ちでいっぱいです。11 人の子女を育てながら、お小遣いや塾、おいしいおやつ、ちゃんとした服など、子どもたちにとって不足な父母でないか、自責の念に駆られることもあります。どこかにでかけるのも簡単ではありません。交通機関を利用しようにも大勢で行動するので迷惑にならないか心配になり、いつもワゴン車を借りて家族旅行に行きます。家族旅行は釜山のポムネッコルやパジュ元殿、巨文島( コムンド) の海洋天正宮、龍平( ヨンピョン) リゾート、パインリッジリゾート、麗水( ヨス) のチョンヘガーデンなど、真の父母様を感じられる聖地を訪れます。その中でもよく訪れる最高の旅行先として清平によく行きます。4人目から8人目の子どもは清心国際病院(現HJ マグノリア病院) で出産したので、私とその子たちにとって清平は故郷のように感じられます。子どもたちに何か困難なことがあれば、気軽に行くことのできる心のオアシスになればと思い、頻繁に清平を訪問します。子どもたちと一緒に大役事に参加して精誠を捧げながら、思い出も作れるので一石二鳥の旅行だと思っています。 子どもが多いことで、子どもたちに愛が分散してグレてしまわないかという心配をしたことがあります。私たち夫婦は子どもが中学校に入学する頃に牧師の方に子女の祈願成就を報告した後、精誠条件を立てて子どもが自ら精誠を捧げるように指導しています。生活の中で精誠を尽くす方法を学びながら、天の父母様と心情的に近くなっていくのを感じているはずです。また、家では敬語を使うことにしています。私たち夫婦は献身生活をしていた頃からお互いに敬語で話しており、子どもたちにも会話する時は兄弟間で年の差があってもなくても敬語を使うよう教育しています。学校で自然と敬語で話す我が子を見て、同級生たちは不思議に思ったり、怪訝そうに見てきたりしますが、その子たちの親や周りの人からは羨ましがられています。 11 人の兄弟が一緒に生活するのにはいい面もあります。家庭内であらかじめ社会生活を練習することができるのです。そしてお互い心が通じ合っているので各自の夢もすぐに叶うと思っています。ある時は特別祈祷室で「もう少し広い家に引っ越せますように」と願いながら、一緒に手を合わせて懇切な合心祈祷を捧げたこともありました。 いまや長男は20 代になりましたが、末っ子はまだ幼稚園児です。彼らのにぎやかな会話を聞きながら日々、幸福感が増していくのを感じます。夫婦間でも新婚の頃にはなかった温かい絆と愛が絡み合って、お互いをより一層尊重するようになりました。時々、子どもたちが「オンマ、私が大きくなったら家を買ってあげるね」、「アッパ、僕が大きくなったら車をプレゼントするよ」、「オンマ、飛行機のファーストクラスの座席を取って日本旅行をさせてあげるね!」という言葉を聞くだけで、私たち夫婦は困難な時も頑張ろうと思え、しばし幸せな気持ちでいっぱいになります。家族全員が集まって仲睦まじく会話をしていると、たまに面白い想像もします。「私たちが全員祝福を受けて名節に一斉に集まったら、いったい何人が集まるかな?」 本当に何人集まるでしょうか?考えるだけでもワクワクする毎日にとても感謝しています。 会報侍義生活 Vol. 22 日本語版の目次へ

NO.22 千年の歴史を込めた天正宮タイムカプセル

人類は昔からその時代に価値のあった物を後代に残そうと試みてきました。その歴史はメソポタミア文明にまで遡ります。メソポタミアの都市遺跡の城壁に隠されていた小部屋から5千年前の箱が発見されるなど、神殿や城塞の建設時、記念物を埋めることが行われてきました。このような努力によって、20 世紀になってからタイムカプセルという容器が開発されたのでした。タイムカプセルが初めて登場したのは、1939 年のニューヨーク万国博覧会の時にウェスティングハウス・エレクトリック・カンパニー(Westinghouse Electric Company) が出品したのが初めだとされています。後代に残す資料を長さ2.3 メートル、太さ15 センチの魚雷型をした容器に入れ、西暦6939 年に開ける予定で地下150 メートルに埋めました。その後、1965 年のニューヨーク世界博覧会、1970 年の日本万国博覧会でも製作され、韓国では1985 年、中央日報社が創立20 周年を記念して、2485 年に開封予定のタイムカプセルが南山ソウルタワーの横、地下15 メートルの深さに埋められました。 このように人類は当代の文明と生活を未来のために保存しようと努力してきました。天正宮タイムカプセルは、真の父母様に関する歴史的な資料と本殿聖地の建築献金をしたすべての食口の名簿、父母様が地上に来られて生活された重要な内容である本殿聖地の摂理的背景と建築過程の原本、興進様と大母様の清平役事日誌などが入れられました。このタイムカプセルは千年後に開ける予定で、後代が記憶するようにという目的で作られました。本殿聖地の建築献金をしたすべての食口たちの名簿は、永遠に変わらないよう最高の大理石を使って天正宮内部にもその名前が刻まれています。 2005 年12 月1 日に収蔵品の封印作業が行われ、翌日の2005 年12 月2日にタイムカプセル奉献式を通してタイムカプセルが本館棟のドーム状の部分に設置されました。容器はステンレス鋼で作られ、規格は内部を798mm( 直径) ×984mm( 高さ)、外部を850mm( 直径) × 1200mm( 高さ) で製作されました。このタイムカプセルは3005 年12 月1 日に開封される予定です。保存期間が千年なので、内容物が千年以上、完全な状態で保存されるように収蔵品の容器に特別な処置を施しました。収蔵品の保存処理は、保存効果を延ばすために特殊な処理がされたアルミニウム真空フィルムで個別に包装し、容器内部の化学反応を抑制するために真空処理をした後、不活性アルゴンガスを封入しました。容器は温度変化を完全に遮断するなど、あらゆる処置が施されています。 タイムカプセルは地中に埋めるのが一般的ですが、天正宮タイムカプセルは天の父母様を象徴する一番貴く高い場所である天正宮のドームの部分に設置されました。その理由は、単純に貴い収蔵品を後代に残すためだけではなく、真の父母様が天の父母様の解放と人類救援のために生涯を捧げられたその歩みを天の前に奉献し、それを人類が永遠に記憶することを願ったためだと思われます。 成長するためには反復が必要ですが、千年生きたら千回繰り返したという事実!そうです。11年経った木の葉と枝は、10年経った木よりも、より美しい実と香りを放つというのです。そのようでなければいけません。千年生きたなら千年の歴史を越えて加算された頂上の位置で1001年、1000年を越えて1001年目を迎えることのできる実であると断言できる、自慢できる実を結ぶという自負心がなければならないのです。(2004.7.1 第14回七・一節敬拝式、チョンヘガーデン) 天正宮タイムカプセルは、千年後の3005 年12 月1 日に開封される予定です。天正宮のドームを眺めるたびに私たちは、天の父母様に似た美しい実になるために生涯を捧げられた真の父母様と出会うことでしょう。天正宮でいつも大きな愛で見守ってくださる真の父母様と共に、私たちは天の父母様が願われる「天の父母様のもと、人類一家族」の理想世界に向かって前進していきます。天正宮と共に歩むこれからの千年歴史は、果たしてどのような世界を創っているでしょうか? 参考文献 : フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「タイムカプセル」、天正宮建設白書 会報侍義生活 Vol. 22 日本語版の目次へ

真のお父様の南下路程Ⅳ : 新しい約束の地、永川をゆく

日帝時代、マヒョン山から撮影した永川の様子。ほとんどの家が藁ぶきの家であった。永川橋の向こうにある平野が現在の完山洞(ワンサンドン)とチュナム平野。遠くに見える山の向こうが慶州(キョンジュ)。 天一国9 年(2021 年)、釜臨節( 真のお父様の釜山訪問)70 周年を記念して真のお父様の南下路程を連載しています。昨年の3 月に臨津江( イムジンガン) を出発して一山( イルサン)、黒石( フクソク) 洞を経て聞慶セジェに到着しました。今回は真のお父様が一番悲しい場所だと語られた慶尚北道の永川( ヨンチョン) を巡礼しました。 1950 年12 月4 日、極寒の中、真のお父様は2 人の弟子と共に平壌を出発され、長く険しい南下路程を歩まれました。中共軍が豆満江( トゥマンガン) と鴨緑江(アムノクカン) を渡って侵攻しており、一刻を争う中、真のお父様一行は臨津江を渡られました。そうして黒石洞に到着されたのです。平壌を出発してから24 日目の12 月27 日のことでした。しかし、まだ安心できる状況ではありませんでした。破竹の勢いで南へと侵攻する中共軍の総攻撃により、真のお父様一行は1951 年1 月3 日、釜山に向かってもう一度、避難しなければなりませんでした。その翌日の1 月4 日、北朝鮮軍は再度、ソウルを占領しました。 私たち一行は去る10 月 10 日、ひんやりとした空気が漂う清平湖の朝、4回目の旅路に就きました。目的地は慶尚北道の永川です。出発の祈祷を捧げた後、有明山( ユミョンサン) を越えて中部内陸高速道路に入りました。1~2時間ほど行くと左手に聞慶セジェが見えました。そうしてさらに1時間半ほど進み、新寧( シンニョン) 駅に到着しました。 新寧は真のお父様の南下路程にも出てくる地名です。新寧に関するみ言の資料は残っていません。ただ、1984 年に歴史編纂委員会が発刊した《今日の摂理歴史》に、その地名が一箇所出てくるのみです。新寧駅は1937 年に駅舎が建てられ、永川に行く途中にあります。今では老朽化が進み、田舎の駅舎のようになってしまいました。駅舎の横には一本の大きなイブキ( ヒノキ科の常緑高木) があり、過ぎ去った歳月を教えてくれます。その木はかなりの樹齢があるようで、指で木の太さを測ってみると、幹の円周は約2メートルありました。太さから推測すると、この木は駅舎が建てられた頃に一緒に植えられたのではないかと思われます。そうであれば、この木も真のお父様一行が冷たい風を耐え忍びながら、南に向かって進まれる姿を見守っていたはずであり、そう思うと急にこの木に対して情が湧きました。 私がアメリカに行って皆さんに1月18日が何の日か祈祷してみなさいと言ったことがありましたね?その日は先生にとって一番悲しい日でした。その日がどんな日だったのかというと、私が精誠を尽くして彼らのため、神様の前に祝福の祈祷をしてあげ、彼らと約束した日です。しかし、彼らはみんなムダにしてしまったのです。彼らが先生を裏切ったとしても先生は、神様の愛はこのようなものだという内容の手紙を書いて、3回も連絡をしました。しかし、その最後の手紙を送ってあげたにも関わらず、それを送り返してきたのです。先生は送り返された手紙を持って北から下りてきたのです。慶尚北道のヨンチョンに差し掛かると橋があります。1月18日にその橋で手紙を読みながら破り捨ててしまいました。(45-143) どのような事情があって、真のお父様がこのように深い悲しみを表現されたのかを知るため、南下路程を始める前の平壌に一度話を戻しましょう。真のお父様は興南監獄から脱出した後、40 日間、平壌の景昌里( キョンチャンリ) の玉世賢( オク・セヒョン) おばあさんの家で過ごされました。2 日あれば父母のいる定州の故郷に行ってくることのできる地理的距離であったにも関わらず、天の前に誓った弟子たちを一人一人探して回りました。80 歳以上の老人から若い人に至るまで、弟子に対して師として誓った責任を果たそうとされました。しかし、どの家でも門前払いされました。真のお父様は当時の悲しい心情を次のように語っています。 家まで訪ねていっても門前払いされ、2度目に行っても門前払いされ、3度目まで。12月2日の夕暮れ時まで人を送り、神様から戻りなさいという指示があるまで、最高の精誠を尽くさなければならないのです。捨てることはできないのです。そうして自分の責任を果たしたのです。心情の理念をもって心情に傷を負った、私の胸に植えられたすべての傷を全部抜き取り、新しい心情を神様の前に連結させることのできる自身を見つけ出してこそ、ようやくそこから出てきたのです。指導者はこのように慎重に責任を負うのです。 (157-336) このような事情を抱えながら、真のお父様は南下路程を出発されたのです。そして弟子たちがみ旨に背いたという事実を知りながらも、それでも弟子を捨てることができず、避難の道を行かれる間も手紙を胸に大切そうに抱えておられました。そして北から吹いてくる風に破いた手紙を乗せて、避難する道中、ずっと気にかかっていた心情の重荷を下ろしたのでした。真のお父様が弟子一人一人を天の前にもう一度、探し立てるために、どれほど多くの苦労と精誠を尽くされ、大切に思われたのかが分かるみ言です。…
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